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千葉地方裁判所 昭和57年(ワ)462号 判決

原告

加藤泰久

訴訟代理人

菅原隆

同(復代理人)

山岡敏明

被告

野城英寿

訴訟代理人

安藤武久

主文

一  被告は原告に対し金八五万七九六〇円及びこれに対する昭和五三年五月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実《省略〉

理由

一原告主張の請求原因1(交通事故の発生)及び2(責任原因)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二本件事故と原告の被つた傷害との間の因果関係について考察する。

1〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和五三年五月四日から井上病院(千葉市新田町一六〇番地の八)に通院し、同日から同年六月三〇日までの間に三七日間、同年七月一日から同年一二月一九日までの間に五一日間、それぞれ通院して治療を受けた。

傷病名は、頸椎捻挫であつた。

(二)  原告は、昭和五四年一月二六日から真砂外科(千葉市真砂五丁目二番三号)に通院し、同日から同年六月三〇日までの間に一六日間、同年七月一日から同年九月三〇日までの間に三八日間、同年一〇月一日から昭和五五年七月三一日までの間に六六日間、それぞれ通院して治療を受けた。

傷病名は、頸部椎間板障害であつた。

(三)  原告は、昭和五五年二月九日から指圧温灸関口治療院(茂原市浜町四三五番地)に通院し、同日から同年六月三〇日までの間に七五日間、同年七月から同年一二月一五日までの間に一七日間、それぞれ通院して治療を受けた。

傷病名は、むち打ち症であつた。

(四)  原告は、昭和五五年八月二〇日から山崎胃腸科外科医院(山武郡横芝町横芝二一三七番地)に通院し、同年中に五一日間、昭和五六年中に一二〇日間、昭和五七年一月から同年三月一〇日までの間に七日間、それぞれ通院して治療を受けた。

傷病名は、頸肩症候群であつた。

(五)  原告は、昭和五六年七月ころから稗田治療院に通院し、そのころから昭和五七年一月二〇日までの間に三一日間通院して、鍼・マッサージの治療を受けた。

(六)  原告は、昭和五七年二月一五日から安井針灸院(山武郡成東町津辺三五六番地)に通院し、同日から同年四月二一日までの間に二五日間通院して、指圧等の治療を受けた。

傷病名は、むち打ち症・頸項部強直性疼痛であつた。

2 ところで、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和五二年四月、東京都から千葉市に転勤して、日産プリンス千葉販売株式会社千葉西販売課の課長に就任し、課員七、八名を統括する内勤の業務を遂行するようになつた。

(二)  原告は、昭和五二年六月一〇日から汐見丘病院(千葉市幸町一丁目一二番六号)の内科に通院し、治療を受けるようになつた。

原告は、初診時に肩こり、首こりを訴え、内服療法を受けていたが、症状は好転せず、同年九月三〇日には感冒を患つた上、同年一〇月五日に至つて、「一〇年前に、むち打ち症を受傷した。」と説明した。

原告は、その後も内科において、感冒・高血圧・過軟骨痛等の治療を受け、昭和五三年五月二日(本件事故発生日)にも感冒で治療を受けた。

(三)  原告は、昭和五二年一〇月五日から汐見丘病院の外科においても治療を受けるようになり、当初は徒手矯正・マッサージを受けていたが、同年一一月二二日に「三年前から肩こり、首こり、痛みがあり、マッサージ・内服薬では改善しない。」と説明したので、レントゲン検査を受け、その結果、前屈位で第五、第六頸椎にずれがあることが認められた。

そのため原告は、そのころから主として温熱療法・頸椎牽引を受けるようになつたが、昭和五三年三月一日から四月二八日までは、ほとんど連日のように温熱療法・頸椎牽引を受け、同年四月一七日からは、担当医の指示によつてポリネック(首のコルセット)を着用するようになつた。

原告は、同年五月二日(本件事故発生日)にも温熱療法・頸椎牽引を受け、事故発生時にポリネックを着用していた。

原告は、同年五月一二日に頸椎牽引を受けたのを最後に、外科への通院を止めた。

外科では、原告の傷病名を「頸椎損傷の疑い」としていた。

(四)  原告は、昭和五三年五月四日から昭和五五年六月二日まで汐見丘病院の内科に通院して治療を受けたが、その状況は次のようなものであつた。

原告は、昭和五三年五月四日から同年六月一五日まで、感冒を患つたと言つて、頭痛・腹痛・咽頭痛等を訴えたが、その後一年余は通院することもなく過ごし、昭和五四年七月二七日から再び継続して通院するようになつた。

原告は、いらいらすると訴えるようになり、血圧も高くなつた(一五〇〜九〇)ので、担当医は、同年八月二日原告の傷病名を高血圧・高脂肪症と診断した。原告は、同年一〇月二日に咽頭痛・頭痛等を訴え、その症状が継続したことなどから、担当医は、同年一一月一二日原告の傷病名を移動性盲腸と診断した。

原告は、そのころから過敏性を示すようになり、微熱を訴え続けていたので、担当医は、原告に対し、体温表をつけること・たばこを止めることなどと、生活指導をするようになつた。

原告は、昭和五五年一月二八日頭痛・無力感を訴えたが、糖尿病と診断され、原告の訴える微熱(三七度前後が続いている。)の原因が不明とされたまま、同年二月一三日自律神経失調症が併発したと診断された上、同月二〇日には不安神経症に陥つたと診断されるに至つた。

3 また〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和四一年九月一七日午後九時一〇分ころ、東京都新宿区戸塚の小滝橋交差点付近において、プリンス六三年型自動車を運転中、訴外胎中昭彦運転のトヨペット六四年型自動車に追突され、受傷した。

そこで、原告は、同年一一月二五日トヨペット自動車の保有者訴外津川光司との間に、「津川は、原告に対し、自動車修理代金九万八二九〇円、治療費一万九五二〇円、慰謝料一万五九三〇円を支払う。後日の後遺障害については、津川が全面的に責任を負う。」と約定して、示談をした。

(二)  原告は、昭和四一年一二月三日午後五時三〇分ころ、東京都町田市原町田五の八先路上において、プリンス四〇年式自動車を運転中、訴外藤本金作運転のダイハツ四〇年式自動車に追突され、受傷した。

そこで、原告は、同年一二月二〇日藤本との間に、「藤本は、原告に対し、自動車修理代金四万〇六〇〇円、治療費三五〇〇円を支払う。後遺障害については、藤本が全面的に責任を負う。」と約定して、示談をした。

4 更に〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和五三年五月二日午後一〇時三〇分ころ、勤務を終えて自宅に帰る途中、本件事故の発生場所に差しかかり、信号待ちのため被害車を停止させた。

(二)  被告は、加害車(ブルーバード)の助手席に妻を同乗させ、時速約四〇キロメートルの速度で、信号機の設置してある交差点に接近したが、信号機が黄色から赤色に変わるのを認めた時、前方約五メートルの地点に被害車を発見し、直ちに急ブレーキを踏んだものの、減速するに至らない状態で、加害車の前部を被害車の後部に衝突させた。

(三)  その衝撃により、被告の妻は足を痛めたが、医師の治療を受けるほどまでに至らず、被告は、何の怪我もしなかつた。

原告も、その時は、「首を痛めた。」などと訴えず、原告と被告は、もよりの警察署の警察官に本件事故の発生を通告しないことにすることを合意した後、その場からそれぞれ被害車と加害車を運転して帰宅した。

(四)  加害車は、本件事故によりボンネットの前部が破損し、前照灯の向きが変わつた。

また、被害車は、本件事故により後部のバンパー、グリル、フェンダー、ランプ等が破損し、これを修理するのに、部分品代金として七万七八四〇円、工賃として六万八九〇〇円を要した。

5 そこで、以上の2ないし4に認定した事実を踏まえた上、1の(一)ないし(六)に認定した原告の傷病等が本件事故との間に因果関係があるか否かにっいて検討する。

(一)  〈証拠〉によれば、原告は、昭和五三年五月四日、井上病院において診察を受け、「項部痛があり、上腕がピリピリする感じで、頭がぽーつとした感じである。」などと訴えたところ、項部に筋硬結が見られたので、同日から頸椎牽引、変形徒手矯正術、温熱療法を受けたほか、鎮痛剤、消化剤、消炎酵素剤、頭痛薬の投与、筋弛緩軟膏の塗布、注射等の治療を受け、同年六月六日には、大分楽になつたと述べたものの、同月一五日には、余り良くないと述べ、僧帽筋を中心に筋硬結が見られたことから、更に後頭神経ブロックの施行、鎮痛剤の変更、精神安定剤の投与等を受けたのに、症状が完全には消失せず、項部痛が続いたことにより、同年一二月一九日をもつて井上病院への通院を打ち切つた事実を認めることができる。

(二)  次いで、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(1)  原告は、昭和五四年一月二六日、真砂外科において医師訴外斉藤長生の診察を受けた。

原告は、初診時に肩こりと頸部痛を訴えたので、斉藤医師は、同日原告の頸椎について四方向からレントゲン撮影したが、これによると、第五、第六頸椎椎間板に狭小化が認められたので、斉藤医師は、原告の傷病について、これを頸部椎間板障害と診断し、まず、消炎鎮痛剤、筋弛緩剤等の薬物療法のみで、経過を見ることとした。

(2)  原告の第五、第六頸椎椎間板の狭小化は、第五頸椎及び第六頸椎の各前下方に骨棘形成が起こつたことによるものであつて、その骨棘形成は、本件事故の発生前から始まつていた(ちなみに、汐見丘病院の外科担当医が、昭和五二年一一月二二日、前屈位で第五、第六頸椎にずれがあることを認めていた事実は、前記2の(三)に認定したとおりである。)

(3)  原告が昭和五四年二月三日から頭重感を訴えるようになつたので、斉藤医師は、更に精神安定剤を加えて投与したものの、原告の症状には変化がなかつたため、同年四月二五日から温熱療法、頸椎牽引を施行するようになり、これを同年九月二九日まで継続した。

(4)  しかし、原告は、依然として頸部痛と頭重感を訴え、その症状に変化が見られなかつたので、斉藤医師は、そのままでは慢性難治化の原因になるのではないかとも考え、同年九月三〇日をもつて原告の症状が固定したものと診断した。

(5)  もつとも、原告は、その後も真砂外科に通院して、同じような治療を受けた。

(三)  ところで、原告は、本件事故前に汐見丘病院の内科と外科に通院し、本件事故後に井上病院及び真砂外科に通院して、それぞれ治療を受けたのであるが、本件事故の前と後とにおける原告の症状及びこれに対する治療内容との間には、余り差異がなかつたものと見ることができ、原告は、昭和五二年一一月二二日ころから頸椎損傷の疑いで温熱療法、頸椎牽引の施行を受け、昭和五三年四月一七日からはポリネックを着用していたばかりでなく、真砂外科(斉藤医師)の診断による頸部椎間板障害は、本件事故の発生前から発現していたものと認めることができる(もつとも、障害の程度が進行していたか否かは、明らかでない。)。また、〈証拠〉によれば、頸椎の骨棘形成は、年齢的な変性のために起こることもあり、原告に生じた骨棘形成の原因は、明らかでない事実を認めることができる。

(四)  しかし、前記4に認定した本件事故の態様、5の(一)及び(二)に認定した原告の症状及び治療内容並びに原告の第一、二回供述によれば、原告は、本件事故によつて頸椎に損傷を受けたものと認めるのが相当である。

原告は、前記2に認定したとおり本件事故前に汐見丘病院の内科・外科に通院して治療を受け、また、前記3に認定したとおり昭和四一年九月一七日及び同年一二月三日にいずれも追突事故で受傷したのであるが、これらのことは、本件事故と原告の頸椎損傷との間に因果関係を認めることを妨げるのに足りないものと見るのが相当である。

(五) そこで、原告に生じた頸椎損傷の程度について考察するに、原告が汐見丘病院の内科及び外科において受けた治療内容、殊に原告が当初から肩こり、首こりを訴え、感冒・高血圧等の治療を受けたこと、症状が好転しなかつたため、原告が一〇年前にむち打ち症を受傷したと説明したこと、原告が前屈位で第五、第六頸椎にずれがあることが判明し、温熱療法・頸椎牽引が本件事故発生の直前まで施行されていたこと、原告が本件事故後にも内科に通院し、高血圧症・移動性盲腸・糖尿病・自律神経失調症・不安神経症等と診断されて治療を受けたこと、原告がしばしば担当医から生活指導を受けていたことなどの諸事情を重視し、これに原告が井上病院及び真砂外科において受けた治療内容を照らし合わせた上、斉藤医師が昭和五四年九月三〇日をもつて原告の症状が固定したと診断したことを総合すれば、原告に生じた頸椎損傷は、昭和五四年九月三〇日に症状固定と診断された症状の限度において、本件事故との間に相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

(六)  原告が、前記2及び3に認定したとおり、昭和五四年一〇月一日以降においても、真砂外科、関口治療院、山崎胃腸科外科医院、稗田治療院及び安井針灸院に通院して治療を受けたものであり、また、本件事故の態様が前記4に認定したとおりのものであつたにしても、前記(五)に判示した理由により、昭和五四年一〇月一日以降における原告の症状が本件事故との間に相当因果関係があるものと認めるのは困難なものというほかない。

原告の第一、二回供述は、前記(五)の判断を左右するに足りないものというべきである。

三次いで、被告に負担させるべき損害賠償額について考察する。

1  治療費 七五万七九六〇円

(一)  井上病院 四九万一八六〇円

〈証拠〉によれば、原告は、井上病院における治療費として右の金額を要した事実を認めることができる。

(二)  真砂外科 二六万六一〇〇円

〈証拠〉によれば、原告は、真砂外科における昭和五四年九月三〇日までの治療費として右の金額を要した事実を認めることができる。

(三)  真砂外科におけるその余の治療費(一〇万四七一〇円)、関口治療院、稗田治療院及び安井針灸院における各治療費は、いずれも本件事故との間に相当因果関係があるものと認めることがでぎないので、いずれもこれを被告に負担させるべきものでない。

2  通院期間の慰謝料 八五万円

〈証拠〉によれば、原告は、日古産プリンス千葉販売株式会社西販売課の課長として営業活動を継続しながら、昭和五四年九月三〇日まで井上病院及び真砂外科に通院した事実を認めることがでぎ、原告の通院した実日数は、前記二の1の(一)及び(二)に認定したとおりである。

右の期間における原告の精神的苦痛に対する慰謝料としては、八五万円の限度において認容するのが相当であり、原告のその余の請求は、失当なものというほかない。

3  逸失利益 二八万円

〈証拠〉によれば、原告は、前記認定の症状固定時において、項部痛と頭重感を残し、自賠法施行令別表第一四級の後遺障害(局部に神経症状を残すもの)を被つたものと認定された事実を認めることができる。

ところで、原告は、昭和五七年五月一四日に本件訴訟を提起し(これは記録上明らかである。)。その訴訟提起時から三年の間における逸失利益の賠償を請求するというのであるが、その逸失利益が後遺障害に基づくものであるというのであれば、その起算日については、これを症状固定日の翌日とするのが相当である。これによれば、その起算日は昭和五四年一〇月一日となり、原告主張の三年間は昭和五七年九月三〇日をもつて経過したこととなるから、原告主張の逸失利益の賠償請求は、右の三年間において現実に逸失した利益の賠償を求めるものと解するのが相当である。

〈証拠〉によれば、原告は、勤務先から、昭和五三年分の給与所得として三六三万九五三〇円の支払を受け、昭和五四年分のそれとして三七二万六三八〇円の支払を受けた事実を認めることができる。

したがつて、右の事実によれば、原告は、昭和五三年分より昭和五四年分の方が多額の給与を得たこととなり、また、原告の第一、二回の供述によれば、原告は、前記認定の症状固定日後においても、勤務を継続しながら、その合間を見て前記認定の治療院等に通院していた事実を認めることができるから、原告が症状固定日後において現実にどの程度の利益を失つたのかは、判然としない。

しかし、原告が前記のような後遺障害を被つたことを考えれば、原告は、これによつてある程度の労働能力を喪失し、それによる財産上の損害を被つたものと見るのが相当であり、前記のような諸事情を考え合わせると、原告は、昭和五四年の年収三七二万六三八〇円の約2.5パーセントに当たる損害を三年間にわたつて被つたものと認めるのが相当である。

これによれば、その損害を二八万円と認めるのが相当であり、これについては本件事故発生日の翌日までの中間利息を控除しないこととする。原告のその余の請求は、失当なものというほかない。

4  後遺障害による慰謝料 四五万円

原告が本件事故により項部痛と頭重感の後遺障害を被つたことは、前記三の3に認定したとおりであり、これによる原告の精神的苦痛に対する慰謝料としては、四五万円の限度において認容するのが相当である。

原告のその余の請求は、失当なものというほかない。

5  損害の填補

以上の1ないし4の損害の合計額は、二三三万七九六〇円であるところ、原告主張の請求原因4(一五六万円の支払)の事実は、当事者間に争いがないから、これを差し引くと、その残額は七七万七九六〇円となる。

6  弁護士費用 八万円

原告の賠償請求認容額、本件事案の内容その他の事情を考え合わせると、被告に負担させるべき弁護士費用としては、八万円の限度において認容するのが相当であり、原告のその余の請求は失当である。

四そうすると、原告の本訴訟請求は、被告に対し損害金合計八五万七九六〇円及びこれに対する不法行為の日の翌日の昭和五三年五月三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であり、これを認容すべきであるが、その余の支払を求める部分は失当であるから、これを棄却すべきである。

そこで、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(加藤一隆)

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